お彼岸

その日、オフクロは前日から同区内に住む実兄宅に泊まっていた。年に数回くらいはそのようにのんびりと休日を過ごすことがあり、そういう時は朝食をご馳走になって正午くらいに帰宅するのが常だった。

オフクロの居ない我が家ではオヤジがいつもよりゆっくりと睡眠を貪り、会社員だった妹だけがいつもと同じように出勤の準備をしていた。
身支度を終えた妹が玄関で靴を履いていると、昼頃に帰宅するはずのオフクロが息せき切って帰ってきた。

オフクロは玄関を上がってすぐの部屋にある仏壇にお茶が上がっていないことに気づき、急いでお茶を入れると今にも出かけていこうとしている妹に呼びかけた。頼まれた妹は否とも言えず仏壇にお茶を供え線香を点し手を合わせると、靴を履き直し出かけていった。

僅かな時間だがいつもより家を出る時間が遅れ、急ぎ足で駅に向かった。

駅に着くといつも乗っている電車がホームから出て行くところだった。日比谷線は北千住始発と東武線からの直通では混雑度がかなり違う。なので多くの人がそうするように、妹も乗る電車だけは毎朝同じ電車と決めていたらしいが、出がけに仏壇に手を合わせたためその日に限って間に合わなかった。

いつもより1本遅い電車に乗り込んだ妹は、会社の最寄り駅で降りてすぐ異変に気づいたらしい。
いま乗ってきた電車がホームに止まったまま発車しない。混雑する階段を上っているあいだに地上から無数のサイレンの音が聞こえる。
改札を出て駅の外に出てみるとパトカーや救急車が何台も止まり、また通り過ぎていきパニック状態になっている。

なにか事件があったとは分かったが、なんの情報も持たないまま会社に着くと、同僚や上司が泣かんばかりに喜んで迎えてくれたらしい。

1995年3月20日、地下鉄サリン事件の当日のことです。
妹がいつも乗っていた電車、その日乗り遅れた電車こそ事件が発生した電車で、いつも乗っていた車両も事件が発生したのと同じ三両目。会社の最寄り駅はサリンが撒かれた秋葉原駅から4駅目の八丁堀駅でした。

運が良かった。
一言で済ませてしまえばそういうことなのでしょうが、とても一言で済ませられる話ではないわけでして。

いつもゆっくりと帰宅するお袋がその日に限って朝の6時台から自転車を40分も漕いで帰ってきたのか。
靴を履いて玄関から一歩出てあとは歩き出すだけだった妹が、なぜ靴を脱いでまで仏壇にお茶を供えたのか。

この話を書き始めたものの、特に終着点はないんです。
無理矢理にでも終着点を作ろうとすればこの犯罪への糾弾や宗教の話とかに結びつけることも出来るんですが、かろうじて被害者の家族にならずに済んだ立場の人間としては軽々しく書いてはいけないような気がするので。

一つ違っていたら唯一の弟妹を失っているところだったし、そうなっていたら甥っ子や姪っ子とも逢うことが出来なかった。なのでいまはただ感謝するしかない。
雨が上がったらお墓参りに行ってきます。

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