注意:若干過激な表現を含みます。お子様や腐女子の方は了承の上で読んでいただけたらと
繰猫さんのお話を読んで「あぁ、そういえば書きたいことがあったなぁ」と思い出した。
ボクんちに吉野家がキタ(^o^)/ – さんばんめの石ころ –
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オイラも滅多に外食をしないんですが、その理由は2つ。
まず1人前を喰いきる自信がない。吉野家の牛丼の並、これは間違いなくアウト。旨そうなラーメン屋を見つけてもまず喰いきれないし、マックですら「チーズバーガーとアイスコーヒーのSサイズでいいんだけど、果たしてアイスコーヒーを飲みきれるかしら?」と逡巡してしまう。
喰いきれなければ残せばいいんでしょうが、厳格な躾の元に育ってきたから食べ物を残すという行為に対してかなりの罪悪感を持ち合わせているんです。なので残すことを前提に注文なんかできない。
まぁ小食ネタは散々書いてきましたので、この理由についてはこのくらいで。
今回の本題はもう一つの理由です。
なにかっつーと「飯を食ってる姿は恥ずかしいものである」ということ。
何かを喰っている姿を人に見られることに対して、若干ではあるけど羞恥心があるというか罪悪感があるというか。
モノを喰うというのは欲求に基づいた行為なんですな。食欲ってヤツです。
性欲にしろ睡眠欲にしろ、欲求を貪る行為というのは人知れず行うモノでして、人前で性行為を行うだの熟睡するだのっては大概の人が敬遠するはず。
そう考えると人前でモノを喰うという行為も本来なら恥ずべきことだと思うんですよ。
とは言っても現代は集団生活社会ですから、三度の飯を食う度に物陰を見つけてコソコソと喰うわけにもいきませんやね。それで例えば学校給食というのは共に同じ学校・クラスで学ぶ物同士という無意識のうちに湧き出る連帯感が根底にあるから許されてきたわけで、学生食堂とか社員食堂とかも同じ理由を付けられると思うんですよ。
解釈を拡げて、レストランにしてもファーストフードにしても、心のどこかに同じ時刻に同じ場所で欲求を解消している者同士という連帯感、大袈裟に言えば安心感・信頼感があるからこそ他のお客さんの視線を気にすることなく食事に熱中できるのではないかと。
恥ずかしいと思うこともなくね。
ところがですわ、オープンカフェ?なにあれ?
自分が食欲を満たしている最中を、見ず知らずの通行人に見られるわけですよ。わざわざ自分がモノを喰ってる姿を晒したいが為に並んでまで利用する馬鹿がいるってのが信じられん。
メシ喰ってる側からすれば「外を見ながら喰いたいだけであって、見られたいなんて思っちゃいない」なんて言い分があるのでしょうが、それを言ったら例えば繁華街のど真ん中で男女が全裸でまぐわっていたとするよね、その男女が「見られたいからという理由でここでヤってるわけじゃない」と言い訳して通用すると思う?通用せんわなぁ。
外を見ながら喰いたいってのは勝手だが、前を通行するオイラはおまいらが欲求を貪るみっともない姿を見せつけられてどういう顔をすればいいのさ。
オイラに言わせりゃドヘンタイのすることだね、ありゃ。あれをオシャレだと思ってるセンスを疑うよ。オシャレからはほど遠い行為だわ。
欲求と理性・欲求とモラルというのは正反対の存在であるわけでして、オープンカフェなんて理性やモラルに反する存在なのでありますよ。
きっと彼処で飯を食ってる輩は理性やモラルに反しながら心のどこかで快感を覚えているに違いない。やっぱりドヘンタイじゃないか、このやろめ!
ということは青山だの表参道だのってはドヘンタイの巣窟だね。今度からどういう顔して歩けばいいんだよ。
そういえばスタバね。斉籐じゃないよ、スターバックスね。
あのお店もさ、カウンター席が外のガラスに向いて並んでたりするんだよね。だからコーヒーを飲んでる姿が外から丸見え。コイツラもドヘンタイだわな。
中にはスカートの中を見せながら座ってる人もいる。某繁華街の店舗なんてさ、店内の床が高いから外を歩いている人の視線と同じ高さに座ってる人の膝小僧があるわけよ。そこでパンモロだよ!パンチラじゃないよモロだよモロ。
これはもうわざとしか思えんよね、オイラを誘ってるのか?急いでるってのにお店の前を2回ほど往復しちゃったじゃないか!ドヘンタイめ!
要するにだね、オープンカフェなんてせせこましいことをしないで、誰もが何処でも自由に欲求をむさぼれる社会を作ればいいわけですよ。路上で座り込んで飯を食おうと熟睡しようと愛し合おうと許される社会。それこそが景気回復の起爆剤であり、地球温暖化を食い止める最後の手段であり、今夏の内閣改造はそれを実現するための第一歩としたいとキムタク総理が熱く語ってる夢を見た。
暑くて脳味噌が溶けそうだ。
書き直すのも面倒臭いからこののままアップしちゃえ。