普段と代わり映えしない生活を送っているオイラとしては大して目出度くもないんですが縁起物なのでしかたがない。極めて儀礼的におめでとうございます。
季節の挨拶はお歳暮とかお中元とかはもちろん、年賀状ですら贈らないんですよ。小学生の頃は送ってきた友達にだけ送り返してはいましたが、中学生になるとそれすらしなくなりました。貰いっぱなし。
そんな不義理なことをしているから当然のようにオイラ宛の年賀状は年を追うごとに少なくなりまして、十数年前についに1通も届かなくなった。まぁ現代はメールで済ませたりもできますしねぇ。ってオイラは年賀メールですら一通も送らないんですが。
ところがですな、数年に一通くらいオイラ宛の年賀状が届くことがあるんですよ。そのほとんどは差出人の名前に「(旧姓)」との文字がある。
推測するに、
結婚したんだけどオイラにはその報告をするまでもなかった。
でも将来またなんらかの縁があるかもしれないし、報せておかないとその時になって困るからだいぶ日にちが経ったけど年賀状が余ったことだしついでに送っておくか。
との理由で送られてくると思うんですよ、恐らく。いや絶対。
こういう経緯で懐かしい名前を目にするのは感慨深いものがありますなぁ。男友達からならともかく、昔の女友達や仕事仲間からだったりすると、「あぁ彼女もついに嫁にいっちまったのかぁ」と、ただ一緒にメシを食ったり酒を飲んだりしただけで、深い仲でもなんでもなかったにも係わらず、なぜか昔の恋人の幸せな姿を見てしまったような切ないような悲しいような気持ちになる、と同時に己の現況を羞じるというか卑下するというか、何とも情けない気持ちになるんですなぁ。
来年こそはオイラも差出人が連名の年賀状を出したいものですなぁ。この際だから「旧姓」はオイラの名前に付いていてもいいです。
長男ですけど、他に家を継げる男の兄弟がいませんけど、入り婿でもいい覚悟です。
なんてこと毎年のように思いながら幾年月、ついに30代最後の年が明けてしまったわけですから目出度くも何ともないわけですよ。