運動会といえば昔は体育の日前後に行われる秋の行事でしたが、最近は今頃の時期に行う学校が増えているんですなぁ。
運動会が近くなると校庭はもとより河川敷や公園の広場などで大がかりな練習をしている光景を見かけます。何の練習かと立ち止まって見学しているとソーラン節なのよ、これが。そういえばオイラの甥っ子や姪っ子もソーラン節の練習がどうのと言ってたなぁ。
運動会の出し物としていつ頃からソーラン節が根付いたのかよく分かりませんが、チラッと調べてみる限り金八先生が火を付けたとか。それ以来全国的に広まったらしい。確かにソーラン節は勇壮だしテンポもよくて踊りやすいのかもしれんが、ちょっと待て。
ソーラン節ってのは北海道の南の方の民謡でしょ、ニシン漁を謡ったものだよね?なんでそれを北海道以外の子供に踊らせる?
民謡なんてものは極めて地域性が高いものであって、地域ごとに歌い継がれ伝承されてきたものが今日に残っているわけですよ。もちろんそれが他地域にまで広がることでより多くの人に謡われるのは好ましいことではあるんですが、東京には東京音頭という地域に根ざした民謡があるわけでして、足立区にも足立音頭という他地域の人にはほとんど知られていないながらも区民から愛されている(かも定かではないが)楽曲があるわけですよ。なのになぜ東京の足立区の子供にソーラン節を踊らせる?
徳島の学校でも阿波踊りを差し置いてソーラン節を踊らせるのか?郡上でも郡上踊りよりソーラン節なのか?恐らく違うでしょう、きっと自らの地域の踊りを子供に教えるはず。
土着性とか地域に対する愛着ってのは子供のウチから育てることに超したことはないと思うんですよ。転居などで住む場所を変えることはあっても、産まれ育った場所というのは一生変わることが無いわけですよ。その地域に対する理解や愛情に欠けていると大人になってから「何か足りない」人生を送ることになりかねないし、他人への配慮や思いやりにも欠けてしまう。グローバルな人間を育てるのはいいけど、足元が固まっていてこそのグローバルでしょ。どれほど国際的な知識を習得したとても自らが生まれ育った国や地域に対する理解が乏しいんじゃ意味がないし相手にされない。
それを教えるのも学校教育だと思うんですが。
そもそも金八先生の舞台は足立区じゃないか!関係のない地域の踊りを唐突に持ってくるくらいなら「足立音頭でヨイヨイヨイ」と踊らせればよかったのに!
まぁ、そうしたらそうしたでさぞかし締まりのないドラマになっていたでしょうが・・・。
そういえばオイラの小学生の頃は花笠音頭がブームでした。そのとき猛練習させられた振り付けは、「花笠を渡されれば自然と身体が動くんじゃないか?」と思うくらい身体が覚えています。
唐突に花笠を渡して即座に踊り始める無精ヒゲを生やした中年男性を探してみてください、間違いなくオイラです。