けたたましいサイレンを鳴らしながら消防車が10台以上やってきて上空にはヘリコプターが旋回、HNKの文字入りヘルメットを被ってるお兄さんまでやってくるので「なんだなんだ?」と飛び出してみたら近所の惚けた爺ちゃんがあまりの暑さに氷を溶かそうとロウソクで冷蔵庫に火を付けたらしい。
燃えるわけ無いじゃん、人騒がせだよ、まったく。
そんなわけの分からない物騒な場所に住んでいるオイラの元に先日注文したタンブラーが届きました。
あぁ無理矢理に前置きを書くもんじゃないね。
普通の人ならすぐに冷たいドリンクを注ぐのでしょうが、そこは普通の場所に住んでいないオイラです。まず始めに小さめの氷を入れて室温36℃の部屋に放置してみました。
現在5時間が経過、未だに溶けきっていません。すごいじゃん。
ステンレスなので表面がピカピカしていて使って汚すのが勿体ないです。なので使うのやめようかと真剣に思案中。せっかくすごいの買ったのに意味ないじゃん。
記憶に残っている最も古い缶コーヒーはなんだろう?と必死に回想してみました。甦ってきたのはこの辺り。
他にもあるのかもしれないけどウチの近所で購入できたものはこれくらい。先の2つ以外は現在でも売られてるよね。
当時は小学生くらいだったからこれらのコーヒーが売ってたとしても滅多なことでは買うことはなかった、飲んだ記憶があるのはベルミーくらいかな、田舎の農道で他にナニも売ってなかったから仕方なくコレを買った気がする。
現在トップシェアと言われているジョージアはもう少し後のような気がするな、調べてないから不確かですが。
缶コーヒを頻繁に飲むようになったのは高校生になってからか。缶だけではなくコーヒー自体を毎日のように飲むようになった。溜まり場が学校近くの喫茶店だったからね。
当時は缶コーヒーといえばポッカオンリー、短い缶じゃなければダメだと勝手に決めつけてたし流行ってた、ロング缶は後の淘汰されることから分かるように子供向けのコーヒー牛乳的な位置付けだしね。
でもダイドーやジョージアでもショート缶のコーヒーはあったはずなのになんでポッカだったんだろう?未だによく分からないや。
高校3年生くらいになるとキリンからJIVEという珈琲が発売されるのよ。「粗挽きネルドリップ」というキャッチコピーに惑わされたのかどうか知らんけど、この頃はコレばかり飲んでました。当時は砂糖が入った甘いのが好みでね、カフェオレとは名ばかりの薄くて甘いコーヒーでも美味しく飲んでたなぁ。
ちなみにこの当時はドリンク界の一大転機でね、無糖紅茶のJavaティーやカフェインたっぷりのジョルトコーラなんてものが発売されてブームになってた。ドクターペッパーが正規品として再流通しだしたのもこの頃だった気がする。
よく覚えてるでしょ?当時はコンビニで働いていてソフトドリンクの発注と在庫管理を任されていたからね、否応でも覚えさせられたのよ。
20歳前半はあまり缶コーヒを飲まなかったなー。勤め人になってお店で飲むことが圧倒的に多くなったしね。
銀座の地下にあった東亜という喫茶店やプロント・ドトールといったお店に立ち寄ることが多かった。
缶コーヒで記憶にあるのはジョージアの赤っぽい色の缶でさ、モカとキリマンジャロが50%ずつってのを覚えてる。出先で缶コーヒーを買うときはいつもコレだったなぁ。
20代中頃は何と言ってもジョージアの「やすらぎパーカー」ね。オイラは集めなかったけど周囲はみんな集めてたからさ、仕方なくジョージアを飲んで貢献してたよ。本当は以前にも書いたように宝酒造の缶コーヒーがお気に入りだったんだけどね。
しかし当時のジョージアはすごいブームだったよね。個人的には未だにあまり好きじゃないんだけどなぁ、ジョージアって。
細かく書いてるとキリがないので振り返るのはこれくらいにして。
缶コーヒはかなり大きな市場となり沢山のメーカーが参入していますな。地域限定とか期間限定を含めると年間にかなりの種類が入れ替わっているんじゃないかと思います。それだけ開発に力を注いでも利益の上がるジャンルなのでしょう。
あぁ、頑張って書いてきたけどやっぱオチが作れないや。頑張って読んでいただいたのに申し訳ない、オチはないよ。
最近はチルドコーヒーなんかが人気でかなり売れてるらしいですな。おいらも結構な種類を買って飲み比べています。
缶と違って熱処理をしていないから・・・・
あぁ、ダメだまとまらないや。いつかリベンジします。