物思う午前1時過ぎ

夕方のニュースを見ながら早めの夕食を済ませたのが18時。グラス一杯だけビールを飲んだのがいけなかったのか猛烈な睡魔に襲われ、自室に戻るなり布団に倒れ込んだ・・・。

気配とか物音とかに起こされたわけではなく、極々自然に目が覚めた。熟睡したという実感に包まれながら枕元の時計に目をやると9時10分前。あぁ、もうこんな時間か。朝刊読みながらパンでも喰うか、と起きあがる。
階下に降りる前に窓を開けようとするも何かおかしい。OFFになっているはずのPCの電源も入っているし、窓から差し込んでいるはずの外の明かりが見つからない。

この段階でやっと本当に目が覚めてきた。
「あれ?もしかして夜の9時か?」「そういえば晩飯食ってすぐに寝ちゃったけど・・・、まだ3時間しか経ってないのか?」

だからなんだと言われても困るんだけど、そういうことってありません?

時間というのは何とも不思議なもんですな。1日は24時間と誰に対しても平等に与えられているのに、その感じ方は人によって全く違う。いや同じ人間でもその時の状況や心の変化によって感じ方も変わってくる。何かに熱中していれば短く感じるし、手持ちぶさたなときは本当に長く感じる。
オイラも、例えば春先に日替わりでアチコチに写真を撮りに行きたいときは1日が24時間しかないことを非常に恨めしく思ったりする。今日こっちに行ってたらアッチの桜が散っちゃうじゃん。1日が60時間くらいあれば同じ日に両方巡れるのに、と。
例えば冬場、寒くて外には出たくないけど家にいてもやることがない、早く暖かくならないかなぁと考えているときは1日が12時間で終わってしまえと思ったりもする。

人生は1回きりなんだから、その瞬間々を真剣に・大事に生きなければならない。なんてことは若い頃に散々言われたんだけど、分かってはいても常のそのこと念頭に置いて生きることなんて出来やしない。そんなこと考えながら生きてたら大事にし過ぎて何も出来ないじゃないか。そりゃ余命宣告でも受けたらそういう生き方も出来るだろうが。
なんてことを真剣に考えてた時代がありました。ハイデガーなんかを読み漁り(殆ど理解でなかったけど)、来る日も来る日も「時間とはなんぞや?」との答えを必死に出そうと頑張ってた若かりし頃がありました。もちろん未だに答えなんかでやしません。

こうしてブログを書いてる時間ももしかしたら無駄なのかもしれません。この時間をもっと有効に使うことができるのかもしれません。でもそんなこと言っちゃうとオイラの人生の99%は無駄な時間で占められてたことになっちゃうのよね。時間を有効に使った記憶なんてありゃしない。
思うんですが、時間というのは無駄遣いしてもいいんじゃないでしょか。何の努力をしなくても健康に生きてる限りは勝手に与えられるものですし、1日に24時間もの時間を勝手に押しつけといて「有効に使いなさい」と言われても困っちゃうのよねぇ。

といった感じで現在は手持ちぶさたな状況なんですな。1日が6時間でもいいと思うくらい。
まだまだ寒くなる時期でもないし、こんなんじゃいけないとは思うんですが、どうにもねぇ。

とまぁ、中途半端な時間に昼寝をしちゃうとただでさえ何をしていいか分からない秋の夜長が更に長くなって、物思いに更けようにも浮かんでくるのはどうでもいいようなことばかりで、仕方が無くこんな訳の分からんことを書いちゃうわけですよ、えぇ。
早寝早起きして規則正しい生活を心がけないと退屈に押しつぶされちゃうね、こりゃ。

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