クリスマスですなぁ。
年の瀬だってのに暗い話題ばかりですが、相変わらずクリスマスだけはやってくるのです。生まれてこの方一度たりとも教会でお祈りなんかしたことない人たちが恥ずかしげもなくキリスト教の祝詞を叫びまくるわけです。
メリークリスマス、と。
まぁ、クリスマスというと毎年こんな感じでメディアや流通業界の作戦に引っかかって無駄金使っている馬鹿どもを皮肉っていたわけですが、それらは全て悲しいクリスマスの思い出しか持たない哀れな人間が発する精一杯の負け惜しみだということをこのブログをごらんの皆様は看破しているでしょうから今年はやめます。
つか冒頭で書いちゃったけど。
よく言われることですが日本人は無宗教というか多宗教というか、七五三や合格祈願で神社にお参りし、クリスマスだのハロウィンだので馬鹿騒ぎし、困ったことがあるとお寺に手を合わせ、とにかく自分の都合の良いときに都合の良い宗教を都合よく選んで平気な顔をしていられる国民が圧倒的多数を占めているわけです。いや批判してるんじゃなくてさ、オイラもそうだし。
かつてモンゴル帝国が驚異的な早さで版図を拡げていった秘訣の一つとして「占領先での宗教の自由を保障したことが挙げられる」という話を読みました。
仏教やイスラム教・キリスト教など物品とともに多種多様な宗教が行き来していたシルクロード沿いの国では為政者による特定の宗教への弾圧が当然のように行われていたようで、モンゴル軍が宗教の自由を保障するという噂が広まると、進軍先の各国では宗教弾圧により苦しんでいた国民がクーデターを起こし、こぞって城門を開きモンゴル軍を招き入れることもあったとか。
現代でも宗教間の対立や宗教を名目とした戦争・内戦・内乱は世界中で行われているわけでして、信仰を我々日本人には想像も付かないほど重要なものとして捉えている人がたくさんいるわけですよ。
日本だって中世までは宗教が武力を持ち権力者と対立することもあったわけで、織田信長による比叡山焼き討ちや石山本願寺との戦、豊臣秀吉による高野山への刀狩りはとても有名な話です。
そう考えると、今日の日本においてキリスト教徒でもない我々がメリークリスマスと騒げることを、宗教の弾圧も対立も無い無宗教・多宗教な国民でいられることを、とても幸せで有り難いことだと感謝しなくてはいけないのかもしれませんなぁ。
と、歌詞の意味を知ってか知らずかこの曲を垂れ流しにしてるお店やメディアが多いのでなんか書こうと思って書いた文章でした。