With A Little Help From Yourself

無駄に長いこと書き続けているこの雑記でありますが、無駄に色々と書いているので検索からやってくる方もいらっしゃいます。
無駄に解析なんぞを仕込んでますので、偶然に検索から訪れた方がナニをどうお気に召したのかその後も定期的に覗いてくださっている事実を知って嬉しいやら困惑するやら。

ブログが普及しだした頃でしょうか、「よく書くことがありますね」なんてメールを貰ったことがあります。「返事はイラネ」ってことだったので返信はしなかったのですが、現在も読んでくれてるか分からんけど今更になって記事中でお返事を。

オイラの雑記は未来日記ならぬ「過去日記」なんですな。
まぁ日記というのは「あったこと」を書くわけですから必然的に「過去日記」となるわけですが、オイラの場合は「今日あったこと」を書く機会よりも遠い昔のことを書く機会が圧倒的に多い。なので「過去日記」なんです。

血の巡りが悪いもんですから直近の出来事を脳味噌で咀嚼して記憶に留めるのは苦手です。数日~数年かかってやっと「あれはこうだった」と客観的に振り返ることが出来るし冷静に分析も出来るようになります。失恋だの失敗だのとヘヴィーなことも過ぎたことだから多少は面白くデフォルメして書くことが出来る。
昔から記憶力には自信があるので、今日有ったことを文章にするよりも昔のことを文章にする方がオイラ的には遙かに楽なんです。思い出はネタの宝庫なんですな。

こうして過去の遺産を食いつぶしながら、この雑記も4月で5年目に突入するわけですよ、えぇ。

「思い出を引き出しにしまう」なんて表現をしますな。人間の脳味噌とはよくできたもので実際に記憶は引き出しにしまわれている、とは思いませんか?
例えば「土曜日の晩飯はなに喰ったっけ?」といま必死に思い出してるんですが、悲しいかな思い出せないんです。でも次に同じ物を喰ったときにはきっと瞬時に思い出せるんですよ、これが。「前回これを喰ったのはアノ時だな、冷え込んだ土曜日の晩だった」と。

日々様々な経験をしながら生きているわけですから、脳味噌にも様々なことが放り込まれていくわけです、これらを全ていつでも引き出せるようにしていたら脳味噌はパンクしてしまう。言葉は悪いが気が狂ってしまう。
なので記憶は一度引き出しにしまい込まれ、同様の状況に遭遇したときに適切な引き出しが開かれて記憶が蘇る。

ナニかのの本で読んだのですが、本当に嫌な思い出というのは忘れてしまうそうです。意味分かるでしょうか?
例えば・・・そうだな・・・・。

オイラは過去に人身事故を起こしたことがあります。幸いにも相手方のの怪我は全治が可能な程度でしたが、それでも数週間の入院を強いることとなり、またちょっと癖のある人だったために裁判所に何度も足を運ぶこととなり、示談してからもゴネられて非常に辛い思いをしました。

本来なら強烈な思い出として記憶されているはずの出来事なんですが、実はオイラ詳細なことをあまり覚えていません。ケリが付くまで1年近く掛かったのに、上記の3行でまとまってしまう程度の記憶しか残っていません。
忘れようにも忘れられないはずの出来事だったのに、記憶力には自信があるはずなのに、この事故のいきさつとその後の経緯だけは思い出そうとしても思い出せない、殆ど覚えていない。
ことあるごとに思い出していたら精神が耐えられない。だから無意識のうちに忘れてしまったんだと思います。

このように、深いダメージを与えられた出来事なんかは自然と忘れるように出来ているらしいです、人間の脳味噌ってものは。

どんなに辛くてもいつか忘れます。だれよりもまず自分自身が味方になってくれるんです。

だから頑張れ。

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