ggrks
いまは無き掲示板「2ちゃんねる」が、電車男やアスキーアートで賑わっていた頃に流行ったワードです。読み方は「ググレカス」。
「分からないことはまず検索して調べる、それでも分からなければ質問する」。 それがネットの、そして掲示板の正しい使い方であり、マナーだった時代の象徴的な言葉です。
SNSの普及に反比例するように掲示板は姿を消していきましたが、分からないことは「Google検索する」という習慣だけは、いまの時代も変わらないようです。
Googleの最新のCMにおいても「何でも聞いて!」とアピールしています。
約20年以上前からネット上で細々と文章を書いてきた私も、この「ggrks精神」の塊のような人間でした。 記事を書くときは、まず徹底的なリサーチ。自分で検索して事実を確認し、論理的な裏付けを取る。「調べれば分かることを調べもしないで安易に人に聞く」なんてもってのほかで、そのプロセスこそが私が文章を書くうえでの最低限のポリシーでした。
だからこそ、数年前にAIが普及し始めた頃、私はこう思っていたのです。 「自分で検索もせずに、AIに答えを教えてもらうなんて気に入らん」と。
しかし今考えると、なんてナンセンスな考えだったのかと顔が火照ってきます。
冷静に考えてみれば、AIもネット上にある膨大な情報を収集・学習して答えを導き出しているわけですよ。
Googleの検索窓にワードを打ち込み、役立ちそうな記事を1ページ目から順番にクリックして地道に探していくのも、AIにプロンプトを投げて必要な情報を瞬時にピックアップしてもらうのも、「ネット上の情報を集めて整理する」という最終的に得られる方向性はまったく同じなんですな。
むしろ、情報の質や最新の動向をキャッチアップするという意味では、常に学習を続けているAIに頼んだ方が、よほど効率的でクオリティの高い結果が返ってきます。
それなのに、「自分で検索窓に打ち込んで、ひとつひとつリンクを踏む苦労」に勝手に価値を見出し、AIという圧倒的にコスパの良い解決策を「手抜きだ」と遠ざけていた。
時間をかけて検索して片っ端から情報を漁るのも、AIに瞬時に探してもらうのも本質的にやっていることは同じなんです。
ただ時代が変わっただけ、便利になっただけ。
その流れに取り残された自分を認められず、どうにか正当化したかっただけ。
……恥ずかしい限りです。
7年のブランクと、失った「原動力」
ブログ歴20年と謳ってはいますが、住まいを現在の八潮市に移した2013年頃から、忙しさにかまけて全く文章を書いていませんでした。
再び文章を書くようになったのは、コロナ禍で在宅時間が増えた2020年頃から。 しかし、7年のブランクは想像以上に長かった。
昔のような文章が書けない。
構成を組み立てられない。
アイディアが思いつかない。
7年が過ぎれば年齢も7つ歳を取ります。頭の回転も想像力も判断力も衰えたのでしょう。
ですが、なによりも大きかったのが、僅かだけど存在していた「固定の読者」が居なくなってしまったことでした。
いま思えば、「読んでくれる人の反応」が私が文章を書く最大の原動力でした。
こんな文章を書いたらどういう反応が返ってくるだろう?
こんな尖った意見に賛同してくれる人が居るのだろうか?
こんなことを知りたがっていた人がいたから代わりに調べて記事にしてみよう、読んでくれるかな?
内向的な性格で人と話すことが苦手な私にとって、自分の考えや意見を文章として読んでもらうということは重要な意思伝達の方法であり、社会とのコミュニケーションの手段でもあったのです。
7年のブランクは「私らしさ」を表現する文章力と、それを認めてくれる人達を奪ってしまいました。
リハビリのパートナーとしてGeminiを選ぶ
7年のブランクで失ったものを取り戻すべく、私はまた文章を書くようになりました。
再開後の2020年以降の記事では「資格取得記」や「機械の分解・修理」といった実用性をネタにした記事が多く、昔のような体温のある「雑記」はほとんどありません。いつかまた近い将来に、以前のような文章が書けるようになればと努力をしている最中です。
いわば、今はまだブロガーとしての「リハビリ中」なんです。 そんなリハビリのパートナーとして、私はGeminiを選んでみました。
きっかけは、実用記事を書くための単純作業の効率化です。
「この情報の一次ソースを探して」 「この長文の中で、前半と後半で矛盾している部分がないかチェックして」
こういった「校閲」や「資料集め」を任せてみたところ、驚くほど優秀だったんですよ。 今まで時間をかけて検索結果をめくっていた作業が一瞬で終わってしまう。
アホみたいに速く終わるし、間違いが無いかセルフチェックまでしてから結果を出力してくれる。
もうね、いままで費やしていた時間と労力は何だったのか、と。
人間は卑しいものでそうなると欲が出ます。
「よし、これなら記事のドラフト(下書き)も丸投げできるんじゃないか?」と思い立ち、Geminiに構成とドラフトを書いてもらうよう頼んでみました。
「○○について××の立場から見た記事を書いて。文字数は3000文字くらいで。」
数秒で、論理的に整った見事な文章が返ってきます。
さらに欲が深くなり、「よし!これで記事を量産だ!」と思ったのですが・・・。
AIには「体温」が宿らない
いざ、AIが作ってくれたドラフトを前にすると、どうにも手直しをしたくなる。
「ここはもっと泥臭い表現にしたい」
「綺麗な正論じゃなくて、もっと迷いながらたどり着いた感じを出したい」
「オレはこんな角度から物を見たことがないぞ」
「そもそもこんな文章書かないだろ、オレ」
結局、AIが出してくれたドラフトを横目に、ほぼゼロから自分で考え、自分の言葉で書き直してしまうんですよ。これじゃAIに下書きしてもらう意味が無い。
なぜか? それは、AIの文章にはまだ「体温」や「息づかい」が感じられないからです。
ずっと昔に自分が書いた文章を読み返してみます。
AIには感情のこもった尖った記事は書けんのです

AIに本を読ませても私の感性での書評までは書いてくれんのです。

AIは「Amazonでエビオスが安かったから2箱買っちゃった」という事実だけで1000文字以上の文章を書いて・・・くれるか?

くれそうだな。
文字数指定して「書いて」って頼めばいいんだから。
どんな中身の記事が出来るかはともかく。
いや、私が書くより優秀な記事が出来るのでしょう、きっと。
まぁ、題材によっては自分で書くよりAIに書いてもらった方がいい記事が書けそうではありますが、それでも「私の個性を感じてもらえる文章」にはならんのですよ。
読者が読んでくれるのは、単なる情報や正論だけじゃない。そこにある書き手の迷い、失敗、「なんだかなぁ」という愚痴も含めた、人間臭い「手触り」。それこそが、私がかつて読者とコミュニケーションを取っていた手段そのものであり、私が取り戻したいと願っているものなんです。
今のAIに、私の日々の暮らしで経験した喜び・悲しみ・怒り・イライラといった、実体験に基づいた「情緒」を求めるのはさすがに厳しい。
「ツール」から、いつか「分身」になる日まで
だからといって、「やっぱりAIは使えない」と見限るつもりもありません。
自分で書き直してしまう以上、執筆の「時短」にはなっていません。 でも、資料集めや事実検証といった「外堀を埋める作業」をAIに任せることで、リハビリ中の私が書く記事のクオリティを上げてくれることは間違い有りません。
そして何より、「面倒な作業」が減ったことで、記事を書くことの「楽しさ」を少しずつ取り戻しつつあります。
今はまだ、AIは自分に変わって調べ物をしてくれる存在でしかなく、誤字脱字を指摘してくれる辞書のような存在でしか有りません。 でも、私がもっとAIの使い方に習熟し、AIが私の文章の癖や価値観を学習していってくれれば。
なにより、いまよりさらに技術が向上して、昔のSF映画にあったような人間が機械に支配されるような未来が訪れれば・・・。
あぁ、そうなったら私はAIの従僕になってるだろうから文章を書いたりしてないね。
とにかく、このまま暫くはGeminiに手伝って貰いながら文章を書いて、いつか本当に私の「体温」や「息づかい」を宿した文章を、私と同じように紡ぎ出してくれる日が来るのを信じて待ちたいと思います。
失った原動力を取り戻し、自分の分身が育つ未来を信じて。 これからもGeminiと二人三脚で、この時代遅れかもしれないブログを書き続けていこうと思います。

